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bulgaria_50.gif(390 byte)2005年ユーラシア大陸横断ミャンマー編

■通貨 1元=約15円
    1バーツ=約3円
ミャンマーの現地通貨(チャット)よりバーツの方が使い勝手がよいので両替はバーツでおこなった。モンラーの町では主に中国元が流通していた。



咽返るような暑さが待ってると思っていたけどそうでもなかった。確かに暑いのだが酷暑の頃に比べれば全然耐えられる。半年振りのバンコク。 ユーラシア大陸横断の拠点として半年前にここからカルカッタに飛んだのだ。あの頃は丁度酷暑でバンコクは恐ろしく暑かった。 あれから半年。時の経つのは早いものだ。

ソフィアを出てイスタンブールに着いてから熱を出し、3日間寝たきりになってしまった。体調はなんとか回復したのだが、 トルコはラマダン中ということもあり、ロクに食事もできず、おまけに気温は日に日に下がって寒くなってくるし、なんとなくトルコに嫌気が差し、バンコクに飛んでしまった。 シリア、レバノン、ヨルダンも行ってみたかったのだが、どうせそれらの国もラマダン中だろうし、イスラムの国はいろんな意味で疲れるので、今回はもう行かないことにした。

バンコクでしばく滞在した後、チェンマイ、チェンライを経て陸路でタイの国境を越え、ミャンマーの タチレクにやって来た。ミャンマーは外国人旅行者に数々制限を課しており、移動するにも、宿に泊まるにも役所で手続きをしなければならない。なぜここまで面倒な思いをしなければならない 国にわざわざやってきたのかというと、ミャンマーと中国の国境のモンラーという町にカジノがあるという噂を聞きつけたからである。ミャンマーのラスベガスと呼ばれているらしい。 中国人専用のカジノらしく、日本人がプレイできるのか不明だが一度行ってみる価値はありそうだ。ミャンマーの秘境にあるというカジノに魅力を感じずにはいられなかったのである。



 
▲バンコクからチェンマイ行きの特急列車
▲タイ、ミャンマー国境






11月12日 
 

タイのメーサイからソンテウで国境へ。ミャンマー入国にはビザが必要だが、タチレクからモンラーまでの陸路限定のビザなら国境で簡単に取れるのだ。 国境の旅行会社でビザを発行してもらう(有効期限2週間、10ドル)タチレクの町はたいして見所もなさそうだが、移動する気にもならなかったので、この日はこの 町で1泊することにした。テレビのニュースでは軍人が市民に偉そうに説教する場面が流れていた。この国では軍人が相当力を持っているようだ。宿はタイに比べ多少高め。 バストイレ付きファンルームで1泊250バーツ。

 
▲タチレクの市場
 
▲宿の部屋。




11月13日 黄金の三角地帯を走り抜ける
 

朝、インフォメーションに行き、乗り合いタクシーのアレンジをしてもらう。外国人はバスなどで自由に移動できないのだ。モンラーまでの全区間、乗り合いタクシーのみ での移動となる。他の客が集まるまで2時間近く待たされ11時前に発車。この日はモンラーとの間の町ケントゥンを目指す。料金は550バーツ。他の客は320バーツしか払っておらず外国人料金のようだ。車は5人の客が乗り、 一番高い料金を払った私が、後ろの真ん中の一番居心地の悪い席になった。4時間程かけてケントゥンに到着。近くにあった適当なホテルに泊まったのだが、この町では 外国人がホテルに泊まる場合、警察署まで行って手続きをしなくてはいけないらしく、宿のオーナーと一緒に警察署に出向き何枚かの書類にサインをして、警察署にパスポートを預けてきた。 さすがは軍事政権の国だと思う。

夕食後、町を散歩していると欧米人のカップルが歩いていた。タチレクあたりでは欧米人観光客を目にすることがあったが、 これだけミャンマーの奥地に入った場所で欧米人を目にするとは思わなかった。私自身もこの町ではどこに行っても外国人というだけでかなり好奇の眼差しで見られた。

宿代はドル建てで支払う 1泊5ドル。

 
▲怪しい日本語の書かれたマイクロバス
 
▲食堂 一食40バーツ程



 
11月14日 いざモンラーへ
 

朝8時過ぎ、警察署でパスポートを返してもらい宿の前から乗り合いタクシーに乗る。こんな田舎町で乗り合いタクシーの客が集まるのか不安だったが、意外とすぐに集まった。 私の他に2人の客が乗り込む。一人はの19歳の僧侶で、彼は英語が堪能で私とドライバーやもう一人の客との通訳役となってくれた。 19歳の僧侶はメールをする為にわざわざタイまで行ってきたのだという。彼の言うところによるとミャンマーはネット環境が整っていないどころが、インターネット自体が存在しないという。 その為にわざわざタイまで足を運ぶのだという。そしてもう一人はモンラーに住む漢族の男で、この男がよく喋るのだ。それも金の話ばかりで、日本での給料や物の値段などをしつこく 聞かれた。でも2人とも根は良さそうな奴だった。約2時間でモンラー着。タクシー代は400バーツ。それとは別に途中のゲートで入域料が200バーツかかった。

モンラーはミャンマー領でありながら中国人ばかり。この町では通貨も中国元しか使えないようだ。

適当な宿にチェックインする。 今回は宿に泊まる為の面倒な手続きは必要ないようだ。宿に荷物を置いて町を散策する。モンラーの町にはミャンマーの奥地とは思えないほど 多くのカジノホテルが建っていた。しかしどこのカジノホテルも営業している気配がない。町は意外に広く真新しい建物が多い。営業してそうなカジノホテルを探して歩くが どこも閉まっている。どういうことだ?結局この日は町歩きをしただけでカジノをプレイする事ができなかった。

宿代は1泊20元。 テレビは中国とタイとミャンマーの番組が見れた。

 
▲ケントゥン~モンラー間の道
 
▲モンラーの町




11月15日 ついにカジノを見つける?
 

モンラーの町は中国雲南省の最南端と接しており、中国のモンラーとは違う。中国雲南省にもモンラーという地名があるので間違えやすい。 住人はほとんどがミャンマー国籍の漢族か中国人である。ホテルや店の看板も全部中国語だった。中国はカジノが違法な為、中国人のカジノ客を当て込んでこの町が作られたらしい。

 
▲泊まった宿の部屋
 
▲町には立派な建物が多い



しかし、どれだけ町中を探しても営業しているカジノが見つからない。人に聞いても言葉が通じない。諦めかけた時、青空市場を見つけた。 市場の脇にボロいバラック小屋のような建物があり、そこで大小のサイコロ賭博をやっていたのだ。ディーラー役の女の子もみんな私服で、地べたにビニールシートをひいてその上に手書きで大や小と書かれた板があり客がそこに次々現金を置いて 賭けていた。そこでも流通しているのは中国元のみ。客が賭けている額もみんな数元単位。多くても20元程度だった。いかにも庶民の娯楽場といった感じの場所である。

大小のコーナーが2つあり、その他にも何種類かゲームがあったのだが、ルールが良く分からなかった。大小のルールもマカオなどではぞろ目が出たら親の総取りなのだが、 ここでは3つのサイコロの目の合計が11だと親の総取りとなるようで、客にとって不利なローカルルールが敷かれていた。

大小のコーナーでは明らかに地元民ではない中国から来たと思われる観光客2人組がいて一回に1000元くらい賭けていた。 2人のまわりには凄い人だかりができていて、注目の的となっていた。この2人組は何回か勝ったり負けたりを繰り返し、最終的に5000元くらい勝って勝ち逃げをしていた。

面白そうなので自分もやってみたのだが、変なオヤジが「つぎは5が出るからそこに賭けろ」とかウルサイ。それで偶々当たると分け前を寄こせと言ってくるし、またキングコングみたいな図体のでかいババアが俺が手に握っていた金をブツブツ言いながらいきなり奪い取ってくるし(訳分らん)完全な無法地帯だった。結局、勝負に集中できず230元負けた。 勝手に予想屋オヤジにはビタ一文渡さなかったし、キングコングババアからも取られた金を奪い返したのだが、かなり不愉快な思いだけが残った。

 
▲営業していないカジノホテル
 
▲やけに道が広いモンラーの町
 
▲東方大酒店 ここも営業していない
 
▲町外れにあった寝釈迦像




11月16日 
 

結局本格的なカジノには行けなかったが、町のなかで唯一賑わっていたカジノもどきの場所で遊べて一応目的は達成したので タイに戻る事にした。その日の内に国境を越えたかったが国境のゲートが閉まる時間に間に合わず、タチレクで一泊してから 翌日タイに再入国した。ゴールデントライアングルを旅してきただけあって、タイ側の入管が異常に厳しかった。荷物の細部に至るまで調べられた。

結果  約-3000円

   注*モンラーのカジノは当時合法でしたが、中国人誘拐事件を契機として2009年に非合法化されました。ミャンマーのその他の地域のカジノの状況については不明ですが、 私が当時足を運んだ合法賭博場も現在では閉鎖されているものと思われます。中国人誘拐事件の詳細は国別参戦記>ミャンマーに記載。