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usa_50.gif(390 byte) 旅行記前半

期間 2001年8月2日~8月31日
移動総距離 約1万5千キロ

ここはアメリカ・・残金27ドル、ピンチ
極貧旅行の末、ついに残金が27ドルになってしまいました。
カードは無い、アメリカに知り合はいない、帰国便まで2週間・・・
はたして無事帰り着く事ができるのでしょうか。

これは、29泊30日にわたる極貧旅行の記録です。


8月2日 成田空港14時5分発、

直前に取った大韓航空の14万円のチケットを手にいざ初のアメリカへ!
機内では私の一つ前の座席に雷波少年の撮影クルーがいた。
8月2日 ロサンゼルス国際空港朝8時着 (現地時間) リトル東京のダイマルホテル1泊目  一泊35ドル

時差ぼけで体がつらい。
8月3日 ダイマルホテル2泊目

グレイハウンドバスターミナルに行きアメリパス(全米30日間有効)購入。429ドル。ハリウッドに行ったりして観光をするが、時差ぼけの為、体がつらくあまり楽しくない。

夜、リトル東京の日本料理店に行き海老天を食べる。食べ終わって清算を済まし店を出たところで日本人の女の店員に呼び止められる。「ちょっとお客さ~ん、チップ払ってください。」チップの存在は知ってたもののあまりよくわからなかったので払わずに店を出たのだ。 しかし、店を出てからチップを要求しに追いかけてくるというのも凄い根性だ。私は、この一件以来アメリカではチップの要るようなレストランには極力入らないことにした。

8月4日 ダイマルホテル3泊目

サンタモニカまで地下鉄とバスを乗り継いで行く。サンタモニカの桟橋は土曜日ということもあり多くの人で溢れかえっていた。 LAのダウンタウンに戻り、銀行でトラベラーズチェックをドルに変えようとするが、このトラベラーズチェックが日本円建てだった為、どこの銀行でも両替を断られ、やっと両替できる銀行を見つけたと思ったら。10パーセントの手数料がかかるという。でもここで両替しなければ仕方がないのでトラベラーズチェックをドルに変える。この時の為替レートは1ドル123円ぐらいだったのだが、レートの悪い日本円建てのトラベラーズチェックと10パーセントの手数料のせいで、計算すると1ドル147円になってしまうではないか!(ほんまアホやな)こんな事になるのだったらトラベラーズチェックをドル建てにしておくべきだった・・・悔やんでも悔やみ切れない。
8月5日 ラスベガスBUDGET INN泊  一泊33ドル

朝、バスでLAを出発、約5時間でラスベガス着。サーカス・サーカスでカジノをやって2万円も負けた。最悪だ。結局、この負けのおかげで、後々金欠に苦しめられることになる。大バカだ! 泊まったホテルはグレイハウンドのバスターミナル近くのホテルだが、この辺りはかなり治安が悪そうだ。
8月6日 ラスベガス~デンバー間バス泊

14時20分発のバスに乗りデンバーに向かう。15時間50分後の翌日朝6時デンバー着朝日に照らされるデンバーの町並みがとてもきれいだった。
8月7日 Melbourue Hostel泊

朝、6時デンバーに着き、バスターミナルから歩いて20分位の所にあるユースホステルにチェックイン。この宿の宿泊料金は15ドルだが、なんか知らんけど間違って25ドル払ってしまう。大バカ野郎だ。ただでさえ金がないのにこれでますますふところがやばくなる。昼寝した後、市内観光。州議会などを見学。
8月8日 デンバー~シカゴ間バス泊

デンバー15時発。バスの中でユーゴスラビアから来ているという17歳の留学生と仲良くなり片言の英語でいろいろ話す。「なぜ、おまえは25歳にもなるのに彼女がいないんだ」と言われた。大きなお世話だ。あと、KIかなんかで解説者が「ユーゴの英雄ミルコクロコップ」と言っていたのを思い出し、私が「ミルコクロコップって知ってるか?」と聞くと、彼は「知らん 誰やそれ」と言っていた
8月9日 シカゴファミリーユースホステル泊  一泊27ドル

バスは昼1時ちょうどにシカゴ着。21時間にわたる長旅だった。宿に着いてまずは昼寝。夕方頃すごい雷の音で目が覚めた。外を見るとすさまじい雷雨になっていた。部屋の窓から雷の光に照らされるシカゴの街をしばらく見ていた。実に絵になる風景だった。

夜の10時ぐらいにドミトリーの同室のドイツ人が「雨もやんだので女の子でも誘ってディスコでもいこうぜ」と言ってきたので行くことに、なんやかんやで結局10人ぐらいで行くことになった。 その中には日本から留学の手続きの為にきている女の子もいた。その他にも、イタリア人、ベネズエラ人、インド人(なんでやねん)などがおり、実に国際色豊かなメンバーであった。

そして、このインド人が「いいディスコ知ってるから案内するぜ」と言ったのでこのインド人についていくことに、ディスコは地下鉄で10分程行った所にあり、入り口ではIDチェックがあり、セキュリティはきちんとしていた。警備員というか用心棒みたいなゴツイ奴が数人、店内で目を光らせていた。そして、ビールを飲み、適当に楽しむ。そうこうしているうちに店は閉店の時間。

二次会をしようと良さそうな店を探して真夜中のシカゴの街をさまよい歩く。歩いているとホームレスが物乞いをしに寄ってくる。ファーストフード店の店内では少年ギャングのメンバーらしき奴らが、2対1で殴り合いの喧嘩をしている。真夜中のシカゴは昼間とは違う顔を見せてくれた。とても有意義なひとときだった。でも、大勢で行ったからよかったけど、一人じゃとてもこんな時間に歩けないな。結局、適当な店が見つからず宿に帰ることに、宿にたどり着いたのは夜中の4時過ぎだった。
8月10日 ユース2泊目

昼過ぎから、ユニオン駅を見学して、シカゴの摩天楼あたりをブラブラ。夕方からは、昨日のディスコのメンバーのドイツ人や日本からの留学生の女の子などと(インド人はいなかった)ユースホステルのシカゴ川見学ツアーに参加。夜景がめちゃくちゃ綺麗だった。
8月11日  シカゴ~ニューヨーク間バス内泊

ここにきて残りの旅行資金がかなり少ないことに気付く。帰りの飛行機が9月12日のロサンゼルス発で予約してあるので、もし、9月12日まで旅を続けるとしたら一日あたり22ドルしか使えない。これはヤバイ、物価の高いアメリカでは一日22ドルで過ごすことは不可能だ。(宿代、食費、バスパスのある長距離バス以外の移動費、観光費)どう考えても宿代だけで25ドル以上する。そこで、一刻も早く物価の安いメキシコに行かなくてはならない。なので、当初の予定にあった、ナイアガラ行きをあきらめニューヨークに直行することに。 バスの出発までかなり時間があるので、高架鉄道に乗りミシガン湖を見に行く。湖畔からの景色は最高だった。湖畔では法輪功のメンバーが祈っていた。 バス19時10分発。
8月12日  チェルシーのユースホステル泊  一泊30ドル

バスは16時間かけ、東部時間の12時、ニューヨーク着。宿はドミトリーなのに一泊30ドルもする。さすがにニューヨークの物価は高い。宿で2時間ほど昼寝をし、タイムズスクエア、セントラルパーク、エンパイアステートビル、と見て回る。
8月13日  ユース2泊目

昼前に起きて、ロックフェラーに行ったのだが、ここで偶然にもシカゴで一緒にディスコに行ったメンバーの一人である ベネズエラ人のアルバロとばったり再会。お互い写真をとり、別れる。アルバロは「今日の夜、俺が泊まっているニューヨークの友人の家に電話をかけてきてちょ」と言ってきた。でも、めんどくさかったのでかけなかった。(ひどい奴)その後、地下鉄でブルックリンまで行き、そこから徒歩でブルックリン橋を渡り、マンハッタンに戻り、チャイナタウンで飯食って、地下鉄の駅を探してうろうろしていると、世界貿易センタービルがあったので一休みしようと中に入ってみる。まさか一ヵ月後にこのビルがテロの標的となり崩壊するなんて思いもよらなかった。夕方頃からリバティー島行きのフェリーに乗り、自由の女神を遠目でながめながら帰ってくる。(金がなかったので直接自由の女神のある島に渡る有料フェリーには乗れず、リバティ島行きの無料のフェリーに乗った)
8月14日  ユース3泊目

ニューヨーク証券取引所を見学。その他にも、グランドセントラルターミナル駅や国連本部なんかも見学しちゃったりしてこの日は終わり。
8月15日  DCのスチューデントハウス泊  一泊10ドル

ワシントンDCに移動。宿は満員でベットはすべて埋まっているという、「リビングルームで雑魚寝するなら10ドルで泊めてやるぜ」と女主人が言うので、金もなく仕方ないので泊まることに。でも、床が固くて寝れなかった。
8月16日  スチューデントハウス2泊目  一泊17ドル

ドミトリーのベットが空いたのでもう一泊することに。昼からFBIのツアーに参加、解説が英語なのでぜんぜん分からなかった。ひとつだけ理解できたのは「ヤクザは小指が無い」というのだけだった。その後、ホワイトハウスなどを見学。
8月17日  DC~アトランタ間バス内泊

スミソニアン博物館街、ペンタゴン観光。19時20分発のバスに乗り込む。
8月18日 アトランタユースホステル泊  一泊20ドル

約12時間でアトランタ着。オリンピック公園に行く。たいしたことはない。アトランタの印象は、高層ビルが多い割には外を歩いている人の数がやけに少ないというのと、ホームレスがほかの都市に比べやけに多い事。しかし、そのホームレスがフレンドリーというかみんななぜか明るい、観光客に道案内をして小銭を稼いでいる姿を何度も目にした。私のところにも「道案内してあげようか」とか「財布落としちゃったから小銭恵んでちょ」とかいって馴れ馴れしく近寄ってくることが何度もあった。ロサンゼルスあたりのホームレスだったら死にそうな顔をして寄って来て、おどおどしい声で「こぜにくれ~」と言うだけなのだが、アトランタは違う。そういう土地柄なの?
8月19日  アトランタ~フォートワース間バス内泊

11時半発のバスでフォートワースに向かう。バスの中は強烈に寒く全く寝れず。
8月20日  フォートワースのモーテル泊  一泊35ドル

朝5時半フォートワース着。19時間に渡る長旅だった。フォートワースから郊外のストックヤードというところまで1時間かけ歩いていく。ストックヤードは西部劇に出てきそうな街だ。観光案内所で宿の場所を聞くと、線路沿いにずっと歩いていくと大きな通りに出てその通り沿いに安いモーテルがあるという。言われた通りに線路の上を延々と歩くのだが、歩けど歩けどモーテルは見つからず、炎天下の中5時間歩き続け、のどはカラカラ、19時間のバスで一睡もできなかった体は悲鳴をあげている、仕方なく観光案内所に紹介されたモーテルとは違う、少し高めのモーテルを見つけチェックイン。ここのモーテルは車でしか来れないような場所にあり、私が徒歩だった為、(それも日本人)モーテルの受付のおばさんがびっくりしていた。15日ぶりのシングルルームだ、この日はダラダラTVを見て過ごす。 ブッシュ大統領の演説が生中継されていて、強烈な印象として残ってる。